2.
 その日以来、天根みらいは学校を休み続けた。
 十四という年齢に対して起こった出来事の重さを考えれば当然と言える行動だと千葉は思う。
 そもそも普段から生徒の出席率は良いとはいえない。それはどこの学校にしても同じことだ。
 天根は今まで優等生だった。これくらい――一週間休み続けても出席日数としてはまだ優等生だ。
 この町において学業は必ずしも優先されるものではない。
 ただ皆、ほかに何もやることがないから、という理由で登校するようなものだった。
 小さな町で、限られた未来しか存在せず、外へ行くことはできない。
 可能性の閉ざされた町で、学んだことを活かしきれずに持て余す。
 それでも千葉は教える立場だから、無意味と思いながらも教鞭を棄てなかった。
 ほかに何もやることがないから、という理由でそうしているだけかもしれない。
 天根は何か他にやることを見つけたのだろうか――。


 放課後千葉は屋上に居た。加糖のカフェオレを片手に曇天の下に広がる町を眺めていた。
 見ると「外の列車」が外側の線路に隣接して停まっている。
 今日が定期列車の日だということを今はじめて思い出し、ふいに予感がして彼は駅へ向かった。
 あの日以来、どういうわけか、考えている。
 天根の困った問いかけについて。
 この町に生まれた子供ならば一度は口にし、親の言葉を封じる質問がある。
「あの電車はどこからくるの?」この町以外にも町が存在するかもしれないという可能性に思い当たったときに問う。
「どうして外へ行けないの?」成長するにつれ、その話題は禁忌なのだと理解し、彼らは口を閉ざす。
 この街の誰も、答えを知らないのだ。それに薄々気づいて、諦める。
 諦め切れない子供は、往々にして、彼女のように線路を見つめる。
 天根みらいがそこに居た。
 つい先日、姉の子を見送ったときと同じ場所で、同じように喪服を着て。
 あの日からずっとそこに取り残されているように。
 声をかけるべきか躊躇っていると、先に彼女が千葉を見つけて呼びかけた。
「先生」
 想像していたよりも元気な声で、千葉は拍子抜けする。
 慰めるつもりだったわけではない。気落ちしているのだろうと予想していたからだ。
「学校に来ないから、心配したよ」
 本心からそうは思っていなくても、教育者としてそう声をかけた。
 天根はくすぐったそうに微笑んで、歩み寄る。
「ごめんなさい。教室に行く気分になれなくて」
 少女の視線がさまよって、やがて定まる。
 駅の方向だ。
「列車を、見ていたくて」
「……この前のことで、落ち着かないんだろう。仕方ないさ」
「ううん、そうじゃないの、先生。それとは関係ないの」
 言葉通り、葬式を経験したばかりとは思えない、悲しみを感じさせない声が答える。
「私、典型的な、線路症候群なんだ」
 駅を、その向こうの線路を見つめて、少女は言った。
 ――禁忌に口を閉ざした子供たちは、まぶたを開く。
 この町は線路に囲まれ、鎖されている。
 町のどこに居ても線路を見ることができる。
 納得できない子供たちは大人に問うことを諦めて、自ら答えを探そうとした。
 線路を見据え、列車を見つめ、どこから来てどこへ行くのか、思考する。
 町を歩いていると、不意に、視線の動かない子供とすれ違う。
 考え深い子供たちは線路に目を奪われたまま歩く。
 その集中力ゆえに周囲への注意を怠り、事故を起こすこともある。
 考えても仕方のないことを追い求めるが故、精神を病む。
「線路症候群」
 千葉は復唱した。 
 千葉にも幼い頃、その傾向があった。しかし成長するにつれ克服した。
 克服――というのは語弊で、多分、流されたのだ。時の流れ、周囲の流れ。
 生長していく体と社会的立場が、心を置いてきぼりにした。
 素朴な疑問を疑問のままに捉える素直な少年は、どこで立ち尽くしているのだろう。
「それは、君が自分で決めることじゃないだろう」
「そうかなぁ」
「誰だって少なからず気になっていることだ。でも、考えたって仕方ないんだ。
 それよりももっと考えなくちゃいけない身近な問題を解決していかないと、みんなに遅れを取るぞ」
 教師らしく脅しをかけると、天根みらいは困った顔をして、それなのに笑った。
「先生、まるで先生みたい」
「天根は知らないかもしれないが、俺は教師をやってるんだ」
 失礼な言葉に冗談で返すと、天根はくすくすと笑い声を上げる。
 風が吹いて、黒い長い髪を、少女と一緒に連れ去りたそうに揺らしていく。
 不意に駅が活気付き始めた。
 外の列車が運んできたコンテナ車両を、中の列車が繋げている空のコンテナ車両と交換する作業が始まったのだ。
 いつもは見かけない人数の駅員が集まって、忙しそうに作業を進行させている。
 町に行き届く食料、燃料、日用品、あらゆる必需品――。
 様々な物を詰め込んだコンテナがこれから時間をかけて列車に連なり、品々を町中へ運び出す。
 それはこの町の根幹であり、生命線だ。
 どことも知れぬ『外』からの供給がなければ町は成り立たない。
 どこまでも荒涼とした風景の中、ぽつりと取り残された町。
 線路で囲まれた、箱庭のような町。
「ねえ先生? 私が考えなくちゃいけない身近な問題って、何?」
「将来のことに決まってるだろ。何のために学校に通ってるんだ」
「何のために、なのかな。先生は、何のために、学校行ってた?」
「先生になるための勉強をするためだ」
 用意していた答えだった。
「そうか。将来のためだったんだ」
 少女が踵を返す。
「先生って、先生になるために生まれてきたんだもんね」
 振り返る顔がからかうように微笑んだ。言葉を返せないうちに二歩三歩と歩んで遠ざかる。
「あ、おい、天根」
 少女はもう振り返らない。その背へ向って声をかけた。
「明日は来いよ、学校」
 応えるそぶりはなかった。
 しかし翌日、教室に姿を現した天根を見て、千葉は安堵したのだった。