3.
 列車はどこから来て、どこへ帰るのか。
 この町に暮らしていればごく当たり前に抱く疑問だった。
 太陽は何故昇り、沈むのか。
 花は何故咲き、枯れるのか。
 人は何故生きて、死ぬのか――。
 生きていれば当たり前に抱く疑問を羅列したところで何も分かりはしない。考えないのと同じことだ。
 千葉は思考を打ち切った。
 ふと周囲を見れば、何気なく立ち寄ったような、けれど線路に並みならぬ視線を送っている者の姿がある。
 老人だった。いつか自分を運ぶ線路を見つめて、呆然とした表情でいる。
 彼もまた線路症候群なのだろう。益なき思考に時を費やす病人だ。
 千葉は不意に、そこに自分の将来を見た。
 どこへも行けぬまま年老いて、半世紀が過ぎてもなお、同じように線路を眺めるのか。
「先生」
 不意の呼び声に動揺した。
 線路症候群なんて、子供か老人の患うものだ。
 仮にも教師として、生徒を導く立場の者が線路思いに耽っていたなんて知られたら、示しがつかない。
 しかし、千葉の心配は杞憂に終わる。
「天根か」
「先生も、見てるの? 線路」
「いや。一服しようとしただけだ」
「ふぅん。じゃ、私も」
 駅前の自販機で、天根がミルクティーを買う。言ってしまった成り行き上、千葉もコーヒーを購入した。
「あ、加糖。先生、コドモだ」
「疲れた頭には糖分が一番なんだよ。疲れない子供には分からないだろうけどな」
「サベツだー」
 冗談めかした応酬に、天根は笑い声を上げた。
 線路の見えるベンチに並んで腰掛ける。
 学校の関係者に目撃されたらなんて言おう。
 でも、天根家にあった不幸は町中に広まっている。
 担任教師が心のケアをしているのだと、好意的に解釈してくれることを望もう。
 千葉はプルトップを開ける。隣では、天根が白い喉を露わにして、缶を傾けていた。
「……家は落ち着いた?」
 会話の糸口を、うまく探せなかった結果だった。
「うん。もう普通。お姉ちゃんも仕事に復帰したし」
「仕事? なにかやってるんだ」
「そう。美容室」
「ああ、確か、南区の」
「そう。もしかしたら、先生もお姉ちゃんに切ってもらったことあるかもね」
「いや、俺は床屋ばっかり使ってるから」
「じゃあ、次はおいでよ。割り引きするから」
「天根はしっかり者だな」
 笑う。
 何か、面白かっただろうか。楽しかっただろうか。天根と話すことが、心地よいだろうか。
 決してそうとは言い難い。それでも笑う。
 笑うことで、沈黙に耐えようとする。笑うことで、自らの感情を誤魔化そうとする。
 無意識のうちでの処理だった。良い教師として、千葉は言葉を向ける。
「天根が居れば、大丈夫だな。家族を支えてやるんだぞ」
「ううん、私なんて居なくても平気だよ」
 天根の声は冷たい響きを持って、しかし、和やかに交わされる会話より余程現実味を帯びていた。
「先生、見て。あの列車」
 白くまっすぐな指が示す、線路に電車が止まっている。当たり前の光景だ。
「車体に番号が入っているの、分かる? あれ、お葬式のとき、棺を載せた車両を引いた列車と同じ」
「え?」
 確認する。
 何を示す数字か分からない。意味を成さない、形式上割り振られただけの番号かもしれない。
「そうなのか。今まで気にもしなかった」
「一週間で、同じ列車が、何回も来る」
「よく気づいたな」
「偶然。ぼうっと見ていたら、気になったの」
 天根はミルクティーを一口飲み下す。細い喉が上下する。
「ゆみがうらやましい」
 突然、そんなことを言った。
「ゆみ? ――ああ」
 結実。天根美咲の娘。結ばれなかった実、実らなかった種子。
「ゆみは、外の世界へ行ったんだ。あの列車に運ばれて、私たちの誰より早く」
 眼差しが、羨望している。未知の外界を。
 手の届かない、実在するかも分からないあやふやなものを。
「でも、それは」
 死んだからだろう。
 言葉は出なかった。天根は微笑んだ。