4.
 閉塞的な教室の中で、毎日同じことを繰り返しているように錯覚する。
 いつも、千葉は、繰り返しの錯覚に襲われる。
 何年も、何百年も、永遠に、同じ事を繰り返している。
 決められた役割と行動から逸脱しないように生きている。
 そんな不安と恐怖が、時折心臓をつつく針になった。
「――以上、欠席三名」
 天根は出席している。
 この教室には『天根』という姓が女子に三人、男子に二人居る。『千葉』も女子が三人、男子に四人。
 町では苗字の数が少なく、遠かれ近かれ血縁関係で結ばれている生徒が多い。
 青葉、天根、木村、笹塚、千葉、野村、葉山、森岡。
 二十八人在籍する二年一組の苗字は、以上の八種が複数名存在する。
 学年各二クラスずつの、他の教室も似たようなものだ。
 多様性の乏しい教室が千葉に錯覚を起こすのかもしれない。
 町は似たようなものばかりで出来ている。流行が数年単位で繰り返された。
 焼き直しの物語が書店に並び、聞き覚えのある音楽が流れ、既視感を抱く絵が飾られる。
 ここは酷く風通しの悪い町だ。何もかも、発展が途絶え、惰性で回転を続けている。
 息が詰まりそうだ。
 授業は滞りなく進んで行く。


 印象に残らない授業を終えて、千葉は屋上で一服している。
 加糖の缶コーヒーに口をつけながら、町を眺めている。
 無意識に焦点を当てていたのは二本の線路だ。
 環状になって町を囲み、どこか遠くへ向かう一本だけの線路が、ずっと向こうまで延びている。
 常に町を回る列車のほかに、何事もなければ月に一度だけやってくる列車が駅に停まっている。
 決められた日はまだ先で、葬送に来たのだとすぐ思い当たる。
 ――誰かが死んだらしい。
「先生」
 予感がして、振り返る。
「天根」
「今日も外の列車、来てる」
「ああ、そうだな」
「死んだの、赤ちゃんだよ」
「そうなのか?」
 天根は頷いて、屋上の扉から千葉のほうへ歩む。
「次に外の列車が来るときも、多分、赤ちゃん」
「……なんで分かる?」
「お医者さんがお姉ちゃんに言ってた。この町、赤ちゃんが産まれにくくなってるんだって。
 煮詰めた鍋みたいなもの。段々、血が濃くなっちゃってるの。だから」
 この町は、風通しが悪い。
 天根はフェンスに手をついて、千葉に倣って線路を眺める。
「もし私が赤ちゃん産んでも、きっと、私より先に外へ行くんだろうな」
「そういうこと、言うなよ」
「だって、しょうがないじゃない。ただ、本当のことを言ってるだけ」
「何か解決法が見つかるかもしれないだろ」
「そんなの、楽観だよ。この町はもう、見捨てられてるんだ。外の世界に知らん振りされてる、仲間はずれの町」
「天根」
「一人ぼっちの寂しい町。みんなここで、最後まで、外の連中に嘲笑(わら)われていることに気づかず滅びるんだ。
 どうして、食料や水を運んでくれるの? どうして、生殺しみたいな真似するの?
 この町だけで自活できないのだから、放っておけばいいのに。どうして面倒見てくれるの?
 私たち、何のために生きてるのかな、先生」
「天根!」
 少女はびくりと肩を震わせて、傷ついた目で千葉を見上げた。千葉は咄嗟に怒鳴りつけたことを悔やむ。
 子供らしい救助信号だったのだ。それなのに、不吉な話を本気にして、千葉は恐怖した。
 取り残された町、どこへも行けない町。ここでしか生きられない、未来。
 未来なんて名ばかりの、破滅への道程を辿ることしかできない。
「先生。あの列車はどこから来て、どこへ帰るの? どうして私たちはそこへ行けないの? 先生。教えて、先生。
 知りたいよ、先生。先生……」
 涙声の天根が千葉にしがみ付く。
 とっくに体から力が抜けていた千葉は缶コーヒーを取り落とした。
 たわむ金属音、流血のようにあふれ出る黒い染み。天根の、子供の体温は戸惑うほど高い。
 天根は典型的な線路症候群だ。
 胸が痛かった。
 かつて千葉も同じように思い悩んだはずなのに。外へ行きたいと願ったはずなのに。
 いつの間に、町の崩壊を恐れるようになったのだろう。
 こんな町今すぐ壊れてしまえばいいと、何度望んだか分からない。
 ――町の大人たちは、皆、外の世界が用意した張りぼてのロボットか何かだと疑っていた。
 子供たちだけがこの異質な環境で育てられているのだと妄想した。
 大人は嘘っぱちの存在で、子供だけが本物だ。
 この町は、子供だけを集めてどうにかしようとしている大人の、実験室だ。
 この町は、作為的な世界だ。不自由な箱庭だ。
 そう思い込み、憤っていた少年の頃があった。
 忘れていた、そんなこと。
 あのときの自分と今の自分が、地続きの人格だと思えない。
 列車はどこから来てどこへ帰るのか。
 外の世界は一体どうなっているのか。
 学校へ通った者なら皆、世界地図の形を知っている。しかし、それを実際に目で確かめた者は存在しない。
 ここは日本列島なのだろうか。それとも、違うのだろうか。真実を誰も知らない。
 テレビの三つしかないチャンネルのどこも、一番知りたいニュースを流してはくれない。
 天根が泣き止むまで、千葉はただ立ち尽くしていた。
 震える肩に触れることも、天根の問いに答えることも、なにも出来なかった。


 泣き止んだ天根に請われ、駅へ向かった。
 棺へ花を手向けて、葬送を見守った。
 今日も棺は不釣合いに大きなものだ。亡くなったのは四ヶ月の乳児だった。
 まるで先日の焼き直しのような光景に眩暈を覚える。繰り返している錯覚に、吐き気を堪えた。
「先生。今月中にきっと、また来るよ。この列車」
「……また、葬式か」
 天根が頷く。目元は僅かに赤く腫れているが、声は凛としている。
「お姉ちゃんの友達、臨月で。もうすぐ産まれそう、なんだって」
「大丈夫だよ、きっと。心配ないよ。天根、帰ろう。家まで送ろうか?」
 天根は首を横に振る。
「先生、今日はごめんね。ありがとう」
「いや、いいよ。俺は天根の担任だからな。気をつけて帰れよ。ご家族によろしく」
「うん。それじゃあ、さよなら」
「ああ、また明日」
 天根が去っていく。
 自分で発した言葉の無責任な響きだけが、千葉の頭にいつまでも残る。

 翌週、少女の言葉通り、葬送の列車が訪れた。
 運ばれたのは死産の赤ん坊だった。