06

 ここでは時間の流れが分からない。
 テュットは眠ろうと思う。
 だけどこの固い岩の上に、毛布の一枚も与えられず眠ることは難しかった。
 岩壁に背中をあずけて、膝を抱えて座っていた。
 ずっと同じ格好でいるとお尻が痛くなって、その上冷えてしまう。
 だから時折立ち上がり、また座って、その繰り返しで夜を過ごした。
 考えるのは家族のことばかり。
 お父さん、もう深酒していないかしら。
 小さなユニはちゃんと寝付けたかしら。
 弟妹たちは喧嘩せずに仲良くいるかしら――。
 緊張の連続で身も心も疲れていた。
 家族のことを考えているうちに、テュットは眠りに落ちた。

 
 蝋燭の小さな光だけで照らされた岩の部屋の、最奥のくぼみが彼のベッドだ。
 体を横たえ、喉の奥をかすかに震わせながら呼吸を繰り返す。
 ふと目が覚めた。
 鼻をひくつかせて、冷たい空気を嗅ぐ。
 感じるのはあの新しい匂い。
 何も変わらぬまま長い歳月を過ごしたこの巣にもたらされた、異変。
 獣は大きな体をゆっくりと起こして、匂いのもとを探した。
 蝋燭の明かりが届くか届かないかというところにそれはあった。
 いかにも食べ足りなそうな細い胴にほとんど骨みたいな手足がくっついている。
 体を小さく縮めて眠る、その姿は見るにつけても固そうだった。
 獲物にしては物足りない。
 獣は鼻を近づける。
 この新しい小さいものが何なのか、嗅ぎ取ろうとした。
 食事なのか。敵なのか。危険なものか否か。
 鼻先は温かさを感じ取った。
 長い間触れたことのない、生き物の温かさだった。
 新鮮な餌か。
 しかし不思議と食欲が起きない。
 それよりも眠気が勝って、獣はそこに身を横たえた。
 獣にとってこの牢の中全てが寝床だから、別段変わった行動ではない。
 新しい小さいものは、固いくせに温かい。
 それが心地よくて、獣は深く眠った。
 長い間、触れることのなかった他人の体温に寄り添う。
 獣は、久しぶりに、しかしそうとは気付かずに、とても安らかな気持ちで眠った。
 
 
 目を覚ましてテュットは反射的に悲鳴を上げていた。
「いや! いや! お父さん!」
 叫びが洞窟のなかで何重にも響く。
 反響した自分の声を聞いてやっとテュットは冷静になる。
 獣が隣で眠っていた。
 毛むくじゃらの、大きな、生臭く湿った罪の獣。
 テュットの悲鳴に目を覚まし、咄嗟に身を起こして危険を探っている。
 少女が原因とは思わなかったのか、もっと遠くのほうを見て、一瞬体を緊張させた。
 それもすぐに解いて立ち上がる。
 獣は四足で歩いた。
 猫のような顔をしていた。
 ただそれは、狐のようにも熊のようにも似ていて、そのすべてと異なっている。
 猛禽の瞳で見ていた。
 狼の口で呼吸をした。
 二度目になる、間近で見る獣の姿に、匂いに、少女は顔をしかめた。
 獣はテュットに頓着せず、あっさりと背を向け奥へと歩いて行ってしまう。
 息をするのも忘れていたテュットがようやくほっとして、気付く。
 眠る前に感じていた凍えが体に残っていない。
 温かさに包まれて眠っていたような気がした。
 獣の体だ。それが温かかった。
 ――あれもまた生き物なのだ。