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 考えること、思うこと。
 それを忘れていた獣は、
 それを思い出した獣は、
 少女が成すことをすべて受け入れた。
 口の中に手を突っ込んで牙を磨くのも、
 冷たい水をかけて毛皮を洗うのも、
 眠るときにはこの体を毛布がわりにするように身を寄せるのも、
 返事がないのに延々語りかけてくるのも、
 すべて。獣は受け入れた。
 反応を返すことは稀だった。
 不思議とわずらわしいとは思わなかった。
 誰かがそばに居ること。
 いままで失われていたこと。
 何年も、何十年も、あるいはもっと長い年月。
 記憶も定かでない、牢獄に捕らえられていた間。
 獣はひとりきりだった。次第に何も感じなくなった。
 寂しさも。
 苦しみも。
 ずっと、暗闇に一人きり。
 気が狂いそうな日々を生きながらえるために思考を手放したのだ。
 少女は獣の体の垢を落としたように、固く凍った感情も呼び覚ました。
 それは、積み重なった寂しさを彼へ返した。長い間降り積もった孤独を思い知らせた。
 例えるなら寒さだった。空腹感に似た、それと比べようもないほど大きな不足感。
 痛みで、苦味で、火傷のようで凍てつく。
 自ら体を引き裂いてしまいたいほどの衝動のようで、倦怠感のようで、それは、
牙のように、棘のように、幾千の針のように、獣を痛めつけた。
 喪失感はひどく彼を追い立てた。
 独りきりでいた長い年月をつきつけて、無為に取りこぼしてきた時間を見せ付けて、
あざ笑うように、胸の内で金切り声をあげた。
 寂しさというやつは、今になって罪の獣に己の過ちを自覚させ、そうして罰を下した。
 忘れてはいけない。
 過去が獣へ語りかける。
 罪を犯したこと。
 忘れてはいけない。
 罰を受けていること。
 忘れてはいけない。
 お前は奪った者だ。
 お前は害した者だ。
 お前は欲した者だ。
 お前は。
 ――忘れてはいけない。
 ただの獣であればよかったと、はじめは思った。
 しかしこの牢獄に一人ぼっちではないと気付いて、彼は思考を取り戻したことを喜んだ。
 この寒い牢獄に、ただ一つ灯る蝋燭より、少女ははるかに明るく暖かい。
 その声は、その体温は、その手は獣を慰める。
 しかしすぐにも奪われる。
 これも罰のひとつなのかと、獣は誰にともなく問うた。
 獣の体は頑丈で長命だった。男が死ぬ前に少女が牢から去ってしまうだろう。
 その理由が何であろうと、獣より少女のほうが長居するとはとても思えない。
 ならばやはり、心失ったままで居ればよかったと考えている自分に気付く。
 獣は、男は、揺れる。
 今ある短い幸いの喜びと、いずれ訪れる喪失の痛みの間に、揺れる。