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 答えがないのも構わずに少女はぽつぽつと自分のことを語った。
 そうすることで気を紛らわせている。
 逃れられない未来をほんの一時、忘れようとする。
「わたしは一番上のお姉さんなの。下に弟妹が五人! みんな良い子たち。
お母さんは四年前に亡くなったのだけど……優しい母だった。沢山のものを与えてくれた。
お父さんは優しくて、とても頑張ってわたしたちの生活を支えてくれるの。
きっと、これからもずっとね」
 日課のように獣の毛繕いをしながら、毎日少しずつ話をしてくれた。
「マーニは十二歳。一番目の妹。
もうあと三年もすればお嫁にいける。わたしは行けなかったけれど……。
マーニは器量よしだもの。きっといくらでも貰い手はあるわ。
お目目がぱっちりとしてて、お人形さんみたいなの。
少し甘えん坊なところもあるけど、これからしっかりしていくわ。
わたし、心配してない」
 もう大分慣れた手つきで食後の獣の口内を洗う。
 それだけで嫌な生臭い匂いが、獣自身も不快に感じていたものが大分薄れた。
「メリとピエニは、二人とも十歳。二人は双子の兄弟なの。
もう、ほんとうにそっくり! 黙っていられると全然分からない。
声の少し高いのが兄のメリ。低いのがピエニ、弟ね。
二人はとっても仲良しで、手先が器用なの。
いつも一緒に何か作ってわたしたちを驚かせる。
木彫りの鳥や馬は見事でね、市へ持っていくとぽつんぽつんと売れていくのよ。
わたしの自慢の双子たち。
大きくなったら職人になればいいのだわ。きっと繁盛する。
わたし、心配してない」
 テュットの家の様子は賑やかで温かい。
 獣は、いつか居たはずの自分の産みの親や、いたかもしれない血を分けた兄弟を思った。
 霞がかかったような記憶からは曖昧な思い出にしか触れられない。
 確かに居た。
 顔も思い出せないけれど、確かに居たのだ。
 与えられた温もりを思い出す。
 少女の話から想像しただけかもしれない。
 きっと優しい父母だった。今はもうどこにも居ない。
「タルヴィは双子の次の弟。
少しぼうっとしたところがあるけれど、実は集中力がすごくって。
何にでも辛抱強く向き合うことが出来る子なの。
お勉強したら、もしかしたら学者さまになれるかも?
まだ七歳だもの、わからないわね。でもきっと立派になる。
わたし、心配してない」
 眠るときには獣の横腹に身を寄せた。
 独りではないことがどれだけ眠りを安らげるだろう。
 体温と体温の重なることが、どれだけ奇跡に思えただろう。
 眠る間際の時間にもテュットは小さく喋りかけた。
「小さな、まだほんの小さなユニ……二人目のわたしの妹。
わたし、あなたに優しくできた?愛してるのよ。ユニ、わたしの大切な宝石。
ユニはどんな子になるのかしら。
動物が大好きだから、家畜たちを大切に育ててくれる子になるわ、きっと。
とても優しい、かわいいユニ。ああ、きっと大丈夫。
こんなにもすばらしい家族が居るのだから。わたしは何の心配もいらないわ。
お父さんは、もう二度と過ちを犯さないもの。わたしは大丈夫。幸せなくらい。
わたし、心配なんて、してない……」
 ほとんど寝息で囁いて、少女の瞳が閉ざされる。
 静かな夜の、穏やかな時間。
 獣は眠りに落ちた少女の顔の半分もある大きさの眼球を彼女へ向けた。
 テュットのもたらした変化は大きい。
 何年も、何十年も、あるいはもっと長い年月。
 冷たかった日々も不毛な過去もこの数日の温かさに溶けてしまう。
 何も無い、何もかも奪われた牢獄の中で、彼は満たされた気持ちでいた。
 あろうことか、許された思いになった。
 この少女の存在が自分を許してくれているのだと、それこそが許されがたい考えだった。
 慰められてはいけない。
 罪人だというのに。
 それでも獣は深い感謝の念を抱く。
 獣に人の心を返してくれた少女に。
 ぬくもりを寄せてくれる彼女に。
 獣はおぞましいことと理解しながら、惹かれていた。
 彼女に答えを返してやりたかった。
 相槌をうって、頷くことができればどんなに良いだろう。
 ときに同意を示し、ときに意見を交わし合い、互いのことを喋る。
 そうして少女と話せたらどんなに楽しいだろう。
 こちらの声にじっと耳を傾けるテュットの姿を想像する。
 なんと幸せな時を過ごすだろう。
 獣は叶わない空想を振り払って項垂れる。
 言葉を奪われたことが今になってこんなにも歯がゆかった。