13

 日が経つにつれ男の歯がゆさは増すばかりだった。
 少女は生来そうであるように、何者と分け隔てない態度で獣の姿をした罪人に接する。
 彼女はもう恐れることも怯えることもなかった。
 信頼し、親愛を寄せ、家族と同様に思っていると語ってくれる。
 この老いた獣に尽くすのは、贖いのつもりなのだと男は心のどこかで思っていた。
 少女は牢獄にいる。同じように罪人なのだ。
 だから献身的な態度で自らの罪を洗おうとしたのだと思った。
 あるいはその行いこそが、少女の身を潔白と示しているのか。
 少女が自らの罪について語ることは無かった。
 牢番にすがり無実を訴え、恩赦を請うような素振りも見せない。
 落ち着き払い、受け入れて、時を待っているように見える。
 悪事をなした人間の態度だろうか。
 罰を受ける罪人の姿だろうか。
 彼女はありのままに暮らしている。
 時折、遠い昔を懐かしむように家族の話をする。
 そして、獣へ言った。
「わたし、ここへ来られて良かった。最後に家族がもう一人増えたのだもの。
 とっても個性的な家族が、ね」
 獣は、男は、胸に訪れる痛みに気付いた。
 深く深く、悔やんだ。
 言葉を奪われてしまったこと。
 それは罰。
 遠い遠い過去に犯した罪の代償。
 それは戒め。
 愚かな行いをしたことへの叱責。
 自らの人生の都合を他者へ押し付けたその傲慢さへの報い。
 獣は、男は、今何を引き換えにしても少女と意志を伝え合う方法を知りたいと思った。
 言葉を、もう、思い出せない。
 どうやって言葉を紡ぎ出せばいいのか。
 どうやって文字を書き表せばいいのか。
 口を開き発音すると、それは獣の吼え声になる。
 手は地面について重い身体を支えている。
 硬い肉球のついた大きな獣の手でペンを持つなど到底できやしないだろう。
 目を合わせても、少女の瞳の中に異形の姿を見つけるだけだ。
 尋ねたいことがある。
 伝えたいことがある。
 それなのに。
 それなのに、男は他者と親しみを築く術の一切を持ち合わせていないのだ。
 この物怖じしない、心優しく大らかな少女の他に、誰が獣と寄り添ってくれただろう。
 異様な、見るからに肉食のおぞましい形をした獣と。
 めぐり合えたのは最後の、あるいは過去に果たされなかった奇跡なのだと男は思った。
 罪を犯さざるを得なかった過去に、あれほど望み、得られなかった奇跡。
 かつて、取り返しのつかないことを起こした。
 近しい者を全て奪われ、人の姿を失い、獣となり果てた今になって、何故このような。
 何故このような巡り合わせが訪れたのだろう。
 感謝すべきなのだろうか。それとも恨むべきだろうか。
 いずれ奪われてしまう仄かな灯。
 ひととき男の暗闇を照らし、彼の身体を温める。
 それを失ったとき、以前感じていた以上に牢獄の闇は、寒さは、
老いたこの身と心に重たい枷をもたらすだろう。
 帰結するところは結局のところ苦しみだった。
 それで正しい、と彼は思う。
 なぜならわが身は囚人だから。
 罰を受けて当然の身なのだから。
 だが、もしも。
 この罪が許されたなら。
 否たった一日でも、天に見ぬふりをしてもらえたなら。
 言葉を取り戻し、少女と言葉が交わせたら。
 一体、どれほどの喜びだろう。
 どれほどの、幸いだろう。
 夢想しながらそれが決して叶わぬことと知っていた。
 男は、あるいはこの時はじめて清廉な気持ちで、己の罪を悔いた。
 正しいと思っていたことを、誤りだと認めようとした。
 罪を犯したことを、恥じた。
 己の行いを見据える。
 奪ったものへの謝罪の気持ちを深く刻み、彼らの安息を祈った。
 どんな罰をも受け入れる。
 この命をもって贖える限りのことを望む。
 傷つけ奪った者たちへ祈りを捧げる。
『だから、』とは願わなかった。
 少女がやがてこの地から去ろうとも、思い通わずとも、
一瞬でも寄り添えたことを感謝した。