23

 荒野の不毛の大地を裸足で踏んで、少女は俯いている。
 少女の顔を覆う手に獣は鼻を寄せた。
 手はやせっぽちで冷え切っている。その冷たさに獣の胸が痛んだ。
「ごめんなさい。わたし、そういうつもりで言ったんじゃないの。
ごめんなさい。わたし、逃げたかったんじゃないの。
ごめんなさい。あなたにこんなことさせて。
ごめんなさい。ごめんなさい」
 獣は戸惑う。少女の涙に動揺した。
 自らの起こした行動がテュットを喜ばせないと知っていた。
 それでも強いて、生きてくれるほうが良いと思う。
 それなのにこんなに悲しそうなテュットの顔を見たのは初めてで、それが男の心を烈しくかき乱した。
 テュットの悲しむのが、何よりも悔しかった。
 涙を止める方法を何に代えても知りたくて少女の薄い手を舐める。
 顔を上げて少女は獣の鼻を撫でた。
「あなたは、優しい。
ありがとう。
その優しさがわたしは嬉しい。
それだけで充分だよ。
わたしはもう、充分慰められたよ」
 月の明かりの下、少女の姿は無残だった。
 綺麗だったはずの髪は艶を失い、肌は垢に汚れている。
 やせ細って肩には骨が浮いていた。
 人は彼女を見て顔を顰めるだろう。
 無様なものだと指差すだろう。
 誰かそれに気付くだろうか。
 少女の瞳のあかるいことを。
 罪無き光を宿したことを。
 そこに獣の姿が映っていた。
 醜く歪んだ異形の姿。
 人は獣を見て恐怖を覚えるだろう。
 災厄だとすら思うだろう。
 誰かそれに気付くだろうか。
 彼の瞳の年老いたことを。
 その奥に寂しさの潜むことを。
 そこに少女の姿が映っていた。
 まっすぐに、毅然と立ってそこに居た。
 少女は泣き止み、微笑んだ。
 獣の鼻に手を伸ばす。
 獣は応えて頭を下げる。
 彼の顔を抱いて、少女は言った。
「お願い。町へ戻りたいの。
わたしが居なくては、お父さんが捕まっちゃう。
子がその責任を果たせない場合、親が負う。国の決まりよ。
わたし、帰るね。
ごめんなさい。
町まで連れて行って欲しいの。お願い」
 獣はくんと鼻を鳴らす。
 少女は湿ったそこへ口付けた。
「大好きよ。あなたのこと。忘れないでね」
 真っ白に微笑んで、それが夜の中いっとう眩しくて。
 獣は目を閉じた。
 目を閉じても尚見えていた。きっと二度と消えはしない。
 どんなに暗いところに居ても、きっとそれは明るいのだと思う。
 どんなに寒いところに居ても、きっとそれは暖かいのだと思う。
 溢れ出る気持ちが身体の中で暴れまわる。
 たまらず、獣はひとつ吼え声を上げた。
 静かな夜の他何も無い荒野にそれは、幾重にも幾重にも響いて広がった。
 テュットのことが、好きだった。そう伝えられたらいいと思った。